2015年12月3日木曜日

朝がきた 鉄道と石炭

<明治 鉄道の時代>


ザンギリ頭を叩いてみれば
 
         文明開化の音がする



 日本人に西洋を範とした近代化を目に見える形とするため、
 明治政府は鉄道の建設を行うこととしました。
 
モデルケースになる区間として、新橋~横浜間、29kmの計画を
1869年(明治2年)決定し、反対派の説得を重ねつつ明治5年に開通しました。      


(明治15年 国有鉄道路線延長 274.9km)

 政府は、軌道の私鉄会社を奨励し敷設資金を確保しています。
 以下の資料だけでは私鉄・国鉄の判別しがたく、軌道敷設の勢いを感じてください。


   「あさ」 さんのご両親は船旅で東京と往来してたのでは?と思われます。
   (東京への引っ越しは明治7年ごろでしょうか?)
   京都・大阪の往来でさえ女足では大変なことだったでしょう。
   
   和歌山・有田は義母さんにしたら「地の果て」「海の裂け目」と思えたことでしょうね。


 
(明治25年 国有鉄道路線延長 983.5km)
 
鉄道の敷設が日本近代化の原点でした。
10年間で東海道、東北線、日本海側へ開通しています。
 
 
 
 
 
(明治35年 国有鉄道路線延長 2071.5km)
 
青森から九州まで軌道がつながりました
(所要時間???調べてみます)
 
 
 
(大正元年 国有鉄道路線延長 8395.9km)
 
 
45年間で 8400km、200km/年の汗、お見事です
 
 
<日本の石炭産出量変移>
 
 
(夕張小唄?間違ってたら ごめんなさ m(__)m )
   耳にしたのは半世紀ほど前です)
 
 
艶がいいのが  自慢だよ
 
 夕張娘と     黒ダイヤ
  
  心の底から  燃え上がる
 
  (どんと掘れ  どんと掘れ)  
 
 
 
日本での採掘は大変な労働でした。
 
海外では露天掘り?あささん「びっくりぽん」です
 
 
 

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